2008年1月1日号 第4422号 

1月1日号 ー主なニュースー

○本市で硬式テニスを開催 ー選手230人が来島、第60回県体ー

 平成20年度・第60回県民体育大会=県北大会=硬式テニス大会(11月8日、9日)の会場がこのほど本市に決まり、県体育協会と県テニス協会から三人が12月18日に来島、現地視察を行った。
 来島したのは県体育協会の鹿摩幸政さん、中山文夫さん、県テニス協会理事長の菊田広さんの3人で、本市体育協会の担当者らに案内され、会場として使われる予定の芦辺町、ふれあいグラウンドテニスコート4面と郷ノ浦町、大谷テニスコート6面を訪れ、芝や観客席などを確認した。大会には県内各地から、220人〜230人の選手が来島する予定。大会前日の7日には、石田町、筒城浜ふれあいセンターで選手の交流を目的に、初の前夜祭も開きたい方針という。

テニスコート視察
コートを確認する県テニス協会理事長ら

○新壱岐物語 ー〜異なる壱岐の島の魅力と活性化 〜ー
 ー県しま自慢観光カレッジ壱岐地区担当講師・坂元英俊ー


しまの道先案内人

 長崎県が進める壱岐地区『しま自慢観光カレッジ』で最初の講演会(共通編)に講師として出席するため、平成17年10月15日に初めて壱岐の島を訪れた。
『しま自慢観光カレッジ』は、長崎県の島々の中から対馬、五島、上五島、壱岐の4地区を指定し、島の活性化をになう“観光”の先導役となる人材を育成し、観光分野の活性化と雇用の創出をめざすものだ。
私は、しまの観光の道先案内人「観光ガイド」コースの担当だった。過去形で表すのは、3年間に亘る長崎県の事業として講座は、平成19年12月で終了したからだ。
 通常、観光事業は地域の歴史遺跡や伝統文化、山や海の自然景観などの観光スポットを決め、この観光スポットを観光バスやレンタカー、マイカーで巡る。旅の行程の途中で地元の土産店で買い物をし、食事処で昼食や夕食を食べる。旅館・ホテルに宿泊する。
壱岐の島の場合、ジェットフォイルやフェリー、飛行機で島を訪れた観光客に対して、このパターンをあてはめることになるが、島内を観光バスで回ると、すでにスケジュールがきっちり組まれており、地元の「観光ガイド」も歴史や史跡の知識を話すだけで、おもしろみにかけることが多い。
これまでは、観光バスガイドさんが観光スポットの案内をする役割を果たしていたが、地域を専門的な立場から紹介できる地元の「観光ガイド」が、地域の持つ魅力を地域の言葉で訪問客に伝えることができるので、近年は旅先で「観光ガイド」が求められるようになってきた。
しかし、職業のレベルまで達するには案内人の経験は元より、案内人の組織化、案内人を広報する情報発信等の課題もある。現状は、どこの地域でも自然や歴史好きの定年退職をした世代が、ボランティア的にガイドをするボランティアガイドが主流となっている。

超古代遺跡としての鬼の足跡

 さて、私の場合、初めて訪れる地域は、あまり先入観を持たずに訪問するようにしている。ただ、今回は観光ガイドの育成なので、地元の観光スポットの中から、興味を持った場所に行くことにした。自分なりに、壱岐の島がどのような地域なのかを掴みたいと思っているからだ。今回の訪問でも同じである。
観光カレッジの壱岐地区担当の長岡理枝子さんが、郷ノ浦港まで迎えにきてくれたので、さっそく案内をお願いした。普通、観光パンフレットで目を引くのは原の辻遺跡や古墳群、なんと言っても猿岩はユニークな大岩で、壱岐の島に来ると誰もが一度は見てみたいと思う場所だ。
しかし、私の興味は、牧崎の鬼の足跡。鬼の足跡という名前に惹かれる。鬼の足跡は牧崎の海岸線にあり、荒波によってできたとされる海食崖が連続する景観。牧崎の岬に広がる草原の一角にできた直径110mの海蝕没の大穴のことである(写真:牧崎の鬼の足跡遠景)。
写真0:牧崎の鬼の足跡遠景

海蝕によって草原の下に空洞ができ、陥没したと考えられており、海とつながっている。また、地元では大鬼のデイが鯨をすくい取るために踏ん張ってできた足跡だという伝説もある。このときのもう片方の足跡は、勝本町辰の島の蛇が谷にある鬼の足跡である。いずれにしても、海蝕没で自然にこの大穴ができたという解釈である。観光客はここへ来て、バスガイドや案内人の民話や海蝕没の話を聞くなど10分から15分で駐車場へ引き返す。これだけでは、「観光ガイド」はおもしろくない。
 私は、鬼の足跡の別の解釈を持っている。それは、鬼の足跡がすり鉢状に削った人工の大穴ではないかとの仮説である。というのは牧崎の鬼の足跡で、海とつながる穴の正面の位置に立ち、方位磁石を向けると、穴の方向はおおよそ真西を示す(写真:真西を示す方位磁石と海をつなぐ削り穴)。
写真1:真西を示す方位磁石と海を繋ぐ穴

つまり、春分または秋分の日にこの大穴の底に降りて、夕日を見ると大穴の向こうに見える水平線に太陽が沈む(写真:平成18年10月7日17時52分に水平線に沈む夕日)。
写真2:水平線に沈む夕日 �6.10.07

これは偶然なのか。また穴の上は4m程度の幅で歩くことができる橋のように残っている。(写真:海につながる穴と左右を繋ぐ橋岩)
写真3:海に繋がる穴と橋岩

その穴をよく見ると、人工的に削られたような痕跡がある。古代人たちは、波が打ち寄せるすり鉢状の底にある小さな海岸からこの太陽を祀り、1年に2度太陽が行き来する、この場所に帰ってくるよう祈ることで、時計のように正確に繰り返す一年の季節の移ろいを確かなものにするのである(写真:すり鉢状の底から見上げた美しい曲線に縁取られた空)。
写真4:すり鉢状の底から見上げた空

 また、鬼の足跡から北西へ50mほどの地点に、祭祀の中心的な場所ではないかと思われる石の台座がある(写真:方位がわかる石の台座)。
写真5:方位がわかる石の台座

また、南へ200mほどの場所には、玄武岩の丸い石のカタチがいくつも残る不思議な岩場などがある(写真:丸い岩場の空間)。
写真6:丸い岩場の空間

 紀元前2000年(今から4000年)前、エジプトのピラミッドやメソポタミアのシュメールなど古代文明は星信仰を行っており、太陽や星を神として崇る。日本の各地にもこの名残が数多く残っており、私が地域振興や観光振興の仕事をしている阿蘇地域にも押戸石の巨石群など太陽信仰の場が残っている。山に配置された巨石は石と石の間に太陽が沈む。こういった場所では、夏至の日の出、春分や秋分、冬至の日の入りのいずれかに太陽が石の間に収まることが多い。したがって、太陽の祭祀場所は、壱岐島だけではなく九州や全国に残されていると言っても過言ではない。
 ただ、日本の考古学は、発掘考古学で地面の下から遺物を掘り出して年代を特定していくものである。また、戦前までは2000年続く天皇制以前に、日本の古代文化があったことは否定されている。
 壱岐の島は壱岐国(一支国)として、歴史舞台に登場し、原の辻遺跡も紀元前2世紀から紀元3世紀ごろに形成された多重環濠集落とされている。私の仮説は、それ以前に壱岐の島に住んでいた人々の話をしているのだ。
 2000年前、紀元0年前後の日本は、大きく見ると縄文時代後期から弥生時代への移行期であり、大和朝廷が西日本を国家統一していく時代でもある。倭国として、今で言う中国や韓国と交流が始まった時代と考えればよい。しかし、それまでは国としてではなく、自由に人々が交流していた時代ではないかとも考えられる。
 その記述は、古代文字で書かれた文献に残っているかもしれないが、その存在は時の権力者からは否定されていくものでもある。
 自然の恵みや人の精神的な安定をもたらす太陽や星を祀るために、海岸に太陽祭祀の大穴を掘り、山に巨石を配置する祭祀場を造った壱岐人たち。超古代の風景を色濃く残す壱岐の島の記憶は、古代からそこに住む人々を消していくことにより消滅し、鬼の足跡は超古代遺跡から海蝕没の自然景観へと変わる。

鬼退治された壱岐人たち

 壱岐の島には、百合若大臣の鬼退治の物語が残る。百合若大臣は、京都の時の権力者から派遣された使者。鬼は壱岐の島に古代から住む独自の歴史や文化を持つ壱岐人。そして、壱岐の島を守る人々の代表が悪毒王と呼ばれる鬼と考えれば、京都から送り込まれた朝廷からの支配者が作り上げた原住民を鬼と見立てた征服の物語ではないかとも考えられる。
 島の人々は、侵略されると当然抵抗する。鬼の立場に立ってこの物語を読むと悪さの限りを尽くす鬼と表現されたハヤテの太郎、遠見の次郎、ツブテノ三郎、そして、寝島に残された百合若大臣の世話をする木の葉隠れの子鬼と称する壱岐人たちがいじらしくなる。
 鬼は、壱岐の島に住んでいた古代日本人たち。現在、壱岐の島に住む皆さんは、百合若大臣の武勇伝を自分のことのように話す。それは、壱岐の征服者の視点でもある。壱岐を征服するのは、この島が古代から外交上の要所だったからに他ならない。どんなに素晴らしい壱岐遺産が残されていても、それに気づかなければ、単なる奇岩・景観。どうやって造られたかわからない石の建造物になってしまう。

古代ロマンに溢れる島

 鬼の足跡の他にも猿岩の前にある巨石祭祀遺構(写真)、
写真7:猿岩遠景(猿岩の左手に巨石祭祀遺構)

巨大な岩を積み上げた鬼の窟古墳(写真:鬼の窟古墳の内部)、
写真8:鬼の岩屋古墳の内部

辰の島には大穴を横にほがしたマンモス岩(写真)
写真9:辰の島のマンモス岩

や海の中から四角柱がまっすぐ伸びる屏風岩(写真)、
写真10:辰の島の屏風岩(4角柱)

そして辰の島の蛇が谷にある鬼の足跡(写真)
写真11:辰の島の鬼の足跡

も海を繋ぐ穴に向かって、方位磁石は真西を向く(写真:辰の島の鬼の足跡も4mほど橋が残る)。
写真12:辰の島の鬼の足跡も4mほど橋が残る

これらの古代壱岐人たちが残した遺跡を単なる民話上の観光スポットや奇岩の景観にしていくにはあまりにも惜しい。
 したがって、私は「観光ガイド」の講座では、壱岐の島の古代にまつわる別の視点からの話もしてきた。壱岐の島の素晴らしさを民話や景観だけでなく、古代からの歴史的・文化的な価値を持った島として誇りを持って欲しいからでもある。
 そんなことは、考えられないと言われる人々も多いかもしれない。しかし、2つの鬼の足跡の海とつながる穴の方向を方位磁石が示すのは西であり、陥没は削りあとのようにも見える。従って、『壱岐の古代ロマン』と考えてもよい。「観光ガイド」の役割は、訪問客に壱岐の島がどれだけすばらしい島なのかを伝え、壱岐で過ごす時間を大切にしてもらうことでもある。
 古代人が祭祀の場所として造形を残し、星や太陽とつながり、豊かな自然を大切にした聖なる島。だからこそ数百もの神社やお寺、古墳群が残された伝説の島なのである。今回は、牧崎の鬼の足跡を中心に筆を進めたが、猿岩周辺、辰の島周辺、男岳・女岳の巨石群と磁気異常石、龍神崎など壱岐の古代遺跡には、それぞれを分析すると目を見張るものが数多く存在する。
「観光ガイド」の受講生にも、3年の間に壱岐の古代から見たすばらしさに気づいた人たちも多い。特に、受講生の石井敏夫さんや田口勇さん、占部英幸さんは、壱岐に対する造詣が深い方々であり、多くの遺跡場所にもお連れいただき、ご示唆も頂戴した。
 今後、原の辻遺跡の公開と共に多くの観光客が訪れる。これらの観光客に、少しでも“壱岐の素顔”に触れる機会を創って欲しい。その役を担うのが、『しま自慢「観光ガイド」』であり、壱岐人たち島民でもある。その活躍に期待したい。

◆プロフィール
▽坂元英俊(さかもとひでとし)
(財)阿蘇地域振興デザインセンター事務局長・昭和29年、熊本県南阿蘇村生まれ。

坂元英俊(顔)

●大学卒業後、農林水産省の外郭団体である財団法人日本農業土木総合研究所研究員として、全国の農村総合整備計画などの策定に携わる。その後、民間のコンサルタントで九州各県の地域振興計画や特産品等のブランド開発を行う。
●平成10年4月 福岡県八女郡星野村・(財)星のふるさとの専務理事に就任。
●平成13年10月 熊本県と阿蘇郡12町村で設立された(財)阿蘇地域振興デザインセンター事務局長に就任。
◎熊本大学大学院・公共政策学・博士課程にも在学中
阿蘇地域(平成の合併後:1市7町村)の広域連携プロジェクトを県・市町村・民間団体などと協働し、推進している。特に、自然や温泉、商店街、農村地域の資源活用とJR九州や域内循環バスなどの公共交通連携やマイカー時代に備えた地域連携は、ゆっくり・のんびり過ごす長期滞在型のスローな阿蘇づくり「阿蘇カルデラツーリズム」として展開している。
 平成19年11月からは、阿蘇ツーリズム・コンソーシアムを立ち上げ、阿蘇地域の旅行事業者3社の地域密着型旅行商品の開発および販路開拓を目的とした経産省の地域資源活用プログラムの事業推進を行っている。
【現在の主な役職】
▽国土交通省・地域振興アドバイザー▽経済産業省・国土交通省、農水省・地域中小企業サポーター▽環境省:阿蘇草原再生協議会委員▽熊本県観光審議会委員
同地域づくりコーディネーター▽同ツーリズムコンソーシアム運営委員▽熊本市基本構想策定委員等

〇拡大12事業、休廃止18事業など ー来年度予算に反映、市行革推進委ー

市行政改革推進委員会(松尾榮子会長)の第二十九回会合が二十日、市役所本庁別館会議室で開かれ、市は平成十八年度事業の政策評価結果を明らかにした。
 政策評価は、より効率的・効果的な市政の実現を目指し昨年度から導入された制度で、今年二年目。担当職員の一次評価、副市長、総務部長ら評価委員会で二次評価が行われ、拡大、現状維持、縮小、廃止ーなど七項目に分類、次年度の予算編成に反映される。昨年度は四百三十二事業を評価、そのうち拡大は十五事業、休廃止は十八事業だった。

〇九州民俗学会も来場 ー住吉神社で奉納神楽ー

奉賛神楽

 年末恒例の奉賛神楽(壱岐大大神楽)が二十日、住吉神社で開かれた。
 今年一年間の御神恩に感謝を捧げる目的で毎年この時期に行われているこの奉賛神楽(磐戸神楽)は、壱岐神楽保存会の神官十二人が午前二時から午後九時ごろまで約七時間かけて奉奏し、終日、静かな境内に神官の声や笛の音が響いた。

○社説 2008年の幕開けに

 満四歳の誕生日を三月に迎える本市の二〇〇八年、平成二十年が明けた。はたして、今年はどのような出来事が起き、その歴史の一ページに何を刻むことになるのだろうか。
 市という新たなスタイルをとって動き始めて四年、そろそろ市としてまとまった壱岐の息吹が感じられる頃のはずであるが、いまだに旧来のスタイル、残像が見え隠れしており、最近では、その力が増しているようにすら感じられることもある。そうしたイメージを今年こそ払拭して、市民にとって市としての確かな足取りが実感でき、その方向、進路に一体感を見出しながら、手応えを意識できる年に、と一年のスタートに思う。
 今年は、初代市長・長田徹市長の第一期目の信任を問う、任期満了に伴う市長選挙が四月六日を告示日、十三日が投・開票の日程で実施される。今のところ、再選を目指す現職の長田徹市長(62)と白川博一氏(55)=旧芦辺町長=、長嶋立身氏(59)=旧郷ノ浦町長=の三人が、立候補の意志を明らかにしており、ほぼ三つ巴の選挙戦になるものと予想されている。いよいよ年が明けて、水面下での動きは、前回市長選でのいきさつもあり激しさを増してこよう。
 告示後は、どの候補も市民にわかりやすく、自らの政策や信条、公約を訴えてもらいたい。加えて本市のマイナス面をピックアップして正すばかりでなく、それぞれのプラス面は具体的にどのようなものがあり、どうやって伸ばし市の魅力や力とするのかについても近い将来〜やや先〜もう少し先と、描かれる三〜五年単位の将来像と合わせ、その考えをより具体的に示してほしいものである。企業は人なりという言葉があるが、社会の先行きが不透明な時期だけに、人材の育成は非常に重要であり、同様である。
 今年の干支(えと)は「子(ね)」で、ねずみ年だからといって、ひそかにコソコソと今夜は何をかじろうかーではなく、市民一人ひとりが、それぞれに社会の主役として、昨年を表した漢字「偽」のようなことがないよう、一歩づつ堂々と本道を行き、前向きな一体感を皆で共有したいものである。そのためにはやはり、行政、政治がオープンであることが望まれ、その姿勢を保ち続けることが重要である。
 さて、この四千四百二十二号から本紙の一年間、七十回の発行が始まった。今年もニュースを偏向してとらえることなどないよう深く胸に刻み、冷静に考え、公正にニュースを発信することに心を砕き、一郷土紙としての役割を、ただひたすらに果たし続ける一年としたい。

○ひとしずく

本紙もこの日から新年二〇〇八年が動き始めた▼今年も、社会的には昨年とも似て、都市と田舎、機会と収入など格差が拡大するものと予想されているが、年号の平成の意のように、「人も社会も穏やかでやすらかに治まりゆく」のようであってほしいーと神々に願いたい▼個人的にも、その年号も二十年目という節目の年に当たり、干支(えと)でも第一番目の「子(ね)」の年と、何かしら意味がありそうな年で、先に記した通り自然、環境、社会、壱岐、日本、国際社会と、大事無き年であることを…と思う▼来たる明るく温かな芽吹きの季節に向け、それぞれに得意、好きな分野で力を蓄えながら、また発揮しながら、自分を整えるための一年のようにも観じられる▼キィーワードとなるのは、やはり▽愛▽平和▽調和▽自由▽喜び▽融合などといった、目には見えないものの誰もが知っていて、既に一人ひとりの胸の奥深くに刻み込まれていよう言葉である。それらの言葉から自分を素直に見つめ直し、自分の行動の基に据えられるなら、きっと向かう新たな時代にも明るさが感じられるはず▼さて、いよいよ希望に向かう一年の始まりです。読者の皆様、本年もまたご愛読のほど、よろしくお願いします。