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2006年3月10日 第4295号 

-主なニュース-



高床主祭殿など3棟復元-7日起工式、完成は10月予定-


原の辻遺跡・保存整備事業


原の辻遺跡保存整備事業で復元される高床式主祭殿など三棟を施工する松坂土木?梶i土木工事)と?葛g川建設(建築工事)は7日、同遺跡丘陵高台頂上部で起工式を行った。同事業は、遺跡の中心となる祭儀場と周辺建築群などの生活空間を主とし、完成は10月の予定。土木工事(地形復元)は平均50?a程の盛土や舗装路盤工など約7,800平方?b、総工費は1669万5千円。建物の復元は、高床主祭殿(21・32平方?b)、平屋脇殿(27・87平方?b)、大型竪穴住居(79・18平方?b)の3棟で総工費は4515万円。



13議員が一般質問-本市議会・3月定例会-


本市議会・3月定例会の一般質問が9日から始まり、9日7人、10日6人の合わせて13人が質問した。今定例会では、長田徹市長が初日の施政方針で説明した、今後の増収対策が求められている市民病院について注目が集まり、2日間で4人が質問した。そのほかにも補助金の方向性と交付基準についてや行財政改革についてなど、本市の深刻な財政状況を先見した質問が目立った。



「鎮座1805年祭」-郷ノ浦町出身久間氏が宮司-


福岡県、高倉神社


福岡方面在住の壱岐出身者の集い・福岡壱岐の会の元会長で郷ノ浦町出身の久間武春氏が代表役員、宮司を務める福岡県遠賀郡岡垣町、高倉神社の社殿改修工事が4月に完成し5月3日午前11時から、境内の特設会場で「御鎮座1805年祭」、正午から祝賀会が行われる。高倉神社は、神功皇后摂政2年(西暦202年)5月午の日に勅を下し建てられた―などと伝えられており、大倉主命(おおくらぬしのみこと)と菟夫羅媛命(つぶらひめのみこと)が祭神。旧遠賀郡21ヵ村の総社。



デンマーク「オペラ人形劇」が来演-文化ホールで「太っちょ子馬」上演-


21日、壱岐子ども劇場第93回例会


壱岐こども劇場(武原由里子運営委員長)主催の第93回例会・デンマークオペラ人形劇「太っちょ子馬」が21日午後3時からと同7時からの2回、郷ノ浦町、文化ホールで上演される。同劇では、デンマークで「オペラ人形劇」を演じる唯一の劇団・アンダーグラウンド音楽劇団が出演、同大使館の後援を受け、全国11か所で開かれる。同劇団の来島は、昨年に続き2回目。ストーリーは、1人の女の子と絵本から飛び出してきた不思議な力を持った子馬との出会いから始まるファンタジーで、上演時間は30分。



『勝本浦まちあるき読本』できる-基本計画報告会開く-


勝本浦まちづくり推進委員会


市、壱岐勝本浦まちづくり推進委員会は市民を対象に、これまで同推進事業で取り組んできた町並み調査の成果、基本計画概要の報告会を7日夜、勝本地区公民館で開いた。



本年度卒業生送り休校へ-壱岐高等家政学院-


壱岐の女子教育と文化の振興に大きな足跡を残してきた壱岐高等家政学院(大澤京子学院長)=郷ノ浦町本村触は本年度・第57回卒業生を最後に休校した。



「美味しんぼ」原作者・雁屋哲さん-壱岐の郷土料理を取材-


1985年3月に第1巻が発行され、現在でも多くのファンを持ち、日本全国の郷土料理などを紹介する週刊ビッグコミックスピリッツ「美味しんぼ」の日本全県味巡り・長崎編の取材班が6日から、本県各地の郷土料理が有名な地域を回っているが、8日、取材班一行が本市を訪れ、壱岐の郷土料理、うにめしやひきとおし、ゆべしなどの作り方を取材した。



給油中に引火し住家3棟全半焼


7日午後4時45分ごろ、郷ノ浦町郷ノ浦、無職、山口哲治さん方の木造瓦葺き平屋建て住宅から出火、約15平方?bを焼き全焼した。山口さんは一人暮らしで。出火当時は在宅中で消火中に指に軽いやけどを負った。当時、山口さんは火を消さずにストーブに給油中、灯油タンクの栓があまく、漏れて引火したとみられ、出火原因、被害額などは現在調査中。



ひとしずく


6日は、冬ごもりをしていた虫などがはい出してくる頃―とされる24節気の一つ・「啓蟄」(けいちつ)▼その数日前、夜更けに今年初めてカエルの鳴き声を聞いた。聞こえ始めは何の音かわからなかったが、しばらくしてカエルのその声であることがわかった。今では、日中でもよく鳴いている。それに合わせるわけではないのだろうが、ウグイスの鳴き声もあちこちから、聞こえてくるようになってきた▼春霞なのか周囲の景色がぼんやりとして見える日もあった。磯へ出掛けてみると、少し先の海から、暖かな春風に乗って潮の薫りが、ツーンと鼻を突いた。この薫りが、自分にとっては、あの冷たい頃が去って、いよいよ春が爛漫の頃へと入る合図のように感じている▼最近まで一面枯れ草色だった牧崎の原っぱも、その下から緑の葉が伸びて、遠目にもずい分と緑の色が濃くなってきている。民家の白木蓮のつぼみもふくらみを増してきた。こうかいてくると、自然の躍動感が、確実に感じられる頃が、今年もスタートしていることが意識される▼雨の一日となった先日、サクラの枝がつぼみに色を送る前にためているかのように、サクラ色に色づいているように見えた。その季節になったら、今年こそ、半城(はんせい)湾で海上からの山桜見物に行ってみたいと思っている。

 

社説  壱岐高等家政学院の休校に


毎年、年末の歳末助け合い運動の頃になると、朝は郷ノ浦の本町通りや役場前から、夕方はスーパーマーケット入口付近で、「歳末助け合い募金、よろしくお願いしまーす」という女子生徒たちの声が、寒さを超えて聞こえてきたこと、地域での清掃作業など黙々と行っていたこと、ずい分長い間見てきたような気がする。我が社と同じ地域、郷ノ浦町大里にある壱岐高等家政学院(大澤京子学院長)が本年度の卒業生を送ったあと休校した。同学院は女子高等教育への情熱から、前学院長の大澤静枝さんにより「静修技芸女子学院」として開校し、昭和34年(1959年)3年制の女子高校としてスタート、これまでに916人が同学院を巣立ち、市内はもちろん全国で活躍しているという。



時代の波、流れとはいえ、この壱岐にあって果たしてきた役割は大きく重かったように感じるし、ずい分大変な苦労があったのではないかとも思う。が、思い出すと生徒たちの姿、表情は明るく、最近では感じられることが少なくなった清楚さがあったように思う。昭和61年5月に発行された壱岐文化社の壱岐島史年表を見ると、終戦の年、昭和20年(1945年)から3年後の昭和23年(1948年)、前学院長の大澤静枝さんが「静修女塾」を芦辺町国分に開設。翌年に郷ノ浦町の現在地に移転新築し、昭和34年にスタートした静修技芸女学院から昭和35年(1960年)に壱岐高等技芸学院に改称、現在の名称・壱岐高等家政学院(専修学校・本科3年、専攻科2年)には昭和53年(1978年)に―とある。とにかく、戦後の壱岐の女子教育、文化の振興に尽くし、大きな足跡を残してきたのではないかと思う。



この間の本島の歴史は、日本全体もそうした中にあったが、激動の歴史と言えるほど、様々な出来事が起きており、戦後の壱岐の在り様を、その女子教育といった点から、また生徒たちを通して見てきたのではないか。最近の数年間で、個人の価値観など大きく変化し、何か、戦後という言葉、大きく言うと文化が一段落ついたのではないかと考えることがあるが、壱岐でも人材という点から考えてみても、非常に重要な部分が抜け落ちて、そろそろ郷土史的にも伝承、継承といったことが出来にくくなってきているのではないかとたびたび思うし、知人らと話していると、そこへ話題がゆくことがよくある。それだけに、早いうちに「壱岐学」をまとめてゆく必要があるように思うが、どんなものであろうか。


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