2005年1月26日 第4211号より
本市の基本構想(案)など審議†2地区ごとに説明会、審議†
本市地域審議会
住民の意見を施策に反映し、郷ノ浦、勝本、芦辺、石田四地区の均衡ある発展を目指すため、各地区に設置された市長の諮問機関「地域審議会」の第二回会議が、二地区ごとに芦辺・石田地区は21日、郷ノ浦・勝本地区は24日、郷ノ浦、文化ホールで、それぞれ長田徹壱岐市長や澤木満義助役、同審議会の委員が参加して行われた。
初場所を見事勝ち越す†勝本出身 壱岐の嶋†
大相撲初場所は、東京・両国国技館で開かれ、23日に千秋楽を迎えた。本市勝本町出身で、玉ノ井部屋の序の口、壱岐の嶋=島本泰さん=は、3日目、6日目、9日目、13日目と白星を重ね四勝をあげ、七番の取り組みを四勝三敗の成績で見事に勝ち越した。
本県ソフトテニス選抜選手に†初山中2年、札元志季さん†
県中体連ソフトテニス新人大会(11月7日、佐世保市)の個人戦女子の部で優勝したペアの1人・初山中学校2年、札元志季さんがこのほど、3月26日から28日の3日間、三重県で開かれる第16回「都道府県対抗全日本中学生ソフトテニス大会」の本県選抜選手に選ばれた。
「消費税完納宣言」式典など†2月8日・壱岐税務連絡協†
壱岐税務署管内税務連絡協議会(岩中松生会長)は2月8日午後2時から、郷ノ浦町、文化ホールで、「消費税完納宣言式典」を開くことになった。同協議会は、預かり金的な性格を有する消費税について、適正な申告、期限内に確実に納付するよう呼びかけており、消費者が支払った消費税が確実に納付されるよう事業者の納税意識の高揚と、消費者が一種の監視役となるよう期待し、「消費税完納宣言」運動を展開する。その宣言運動の一環として、消費税の納税資金備蓄の促進策として、市内の各金融機関の協力により、消費税納税用の預金を新規に設け、そのための口座を開設した事業者らに「のうぜい備蓄預金口座開設済み」のシールを交付し、それを申告書に貼付して申告する―の運動を展開する。
さらに並行して、ヒマワリの花をデザイン化、「消費税完納宣言の店」と書かれた「消費税完納宣言」ステッカーを事業所内に掲示し、消費税納税者が自主的取り組みを行う。福岡国税局管内では初の取り組み。
あなたの挑戦を応援します†農業を志す人を募集中・JA壱岐市†
壱岐市農業協同組合(吉野誠治組合長)は来月21日まで、今年も農家の後継者として農業にチャレンジする人、農家ではないが同様にチャレンジしたい人を対象に、新規就農者支援事業により募集している。同農協は、21世紀の新しい壱岐農業の基盤づくりを進めており、「やる気のある人をサポート」「あなたのチャレンジを応援します」―と、壱岐の島の恵まれた環境を生かした食料基地を造るスタッフの一員に―と、農業以外の多様な経験を生かし、今後、農業を職業として志す人、原則として40歳未満の人たちを募集対象に、新規就農に必要な研修に対して、1年以内の範囲で毎月10万円の研修費が助成される。
同支援事業に関する問い合わせ、応募は同組合営農センター(電話45-3805)、各支所へ。
「環(わ)」がテーマ†ピア21ギャラリーで女性3人展†
芦辺町、ピア21ギャラリーで来月3日から10日までの8日間、写真、俳句、書の作品展が「環(わ)」をテーマに開かれる。石田町、江川栄子さんが写した写真のイメージを受け、俳句を芦辺町、長岡登志江さんがつくり、その俳句を同町、平尾典子さんが書にする―の女性三人展。多くの来場、鑑賞が望まれており、この企画を考えた江川さんは、「会場に置いたノートに、是非感想を記入して下さい」などと話していた。
ひとしずく
昨年末の好釣果もあって、最近の北西†西の強風によるシケ模様の天候を、連日うらめしく思いながら、壱岐市庁・屋上の風向計を見上げていた
▼この時季の対象魚は何と言っても釣趣、引き味、そして食味も最高の寒グロ。クロ(メジナ、グレ)は磯釣りのターゲットとしての人気はもちろんナンバー1で、壱岐では普通、地グロと呼ばれるメジナと尾長グロと呼ばれるメジナの二種類が釣れる
▼釣れてから取り込むまでの魚の引きの強さや粘りから、尾長グロの人気は高く、東シナ海に浮かぶ男女群島や太平洋の伊豆七島などに、夢の六十†オーバー、超大物を狙いに釣行する釣り人も多く、全国からやって来るほど。個人的には食味も1ランクアップ―と感じている、やっと凪(な)いだ22日、二面に掲載している通り、いつもの郷ノ浦町、牧崎に出掛けてみた
▼釣れたクロは、刺身はもちろん、青ジソや小ネギニンニクスライスをたっぷり載せ、ニンニクを漬けたサラダオイル、ポン酢をかけて食べる皮を直火であぶったタタキ、しゃぶしゃぶ鍋などと様々。我が家の子どもたちは、脂ののった刺身、タタキが一番旨いとしており、先日もアッというまに跡形も無く―
▼先日、テレビの釣り番組を見ていると、「キャッチ・アンド・イート」という言葉が耳に飛び込んできた。この言葉を基本に、次はいつ?と、今、も。
社説 †110番、119番、118番は緊急ダイヤル†
陸上の事件、事故、自然災害、火災、急病など“イザ”という時、緊急時の通報ダイヤルとして、警察への「110番」、消防署への「119番」があり、通報すると壱岐署、壱岐消防署が、その緊急事態に対応することになる。海上の場合は「118番」である。この海上の緊急通報「118番」は、平成12年5月1日から運用がスタートして以来、およそ5年が経過しており、壱岐など北部九州方面の海域をその管区とする第七管区海上保安本部(北九州市門司区)は、118番の普及と住民への周知を―と、今月・1月18日の日付けにちなみ、その18日から24日までの1週間を、「海の緊急通報『118番』周知週間」とし、「海の事件・事故は『118番』へ」と訴えた。
「118番通報」をより多くの住民に―と実施された周知運動は、具体的に†見かけない船や不審人物、漂流物の発見†油の排出や不法投棄などの発見†密航、密輸、密漁などの情報を得たり、目撃した†海難事故に遭遇した、目撃した†海での異変に遭遇、目撃した場合に、118番で海上保安庁への緊急通報を―と展開され、海上での事件、事故防止なども併せてPR,住民の理解と協力が呼びかけられた。昨夜午後8時19分、男性から壱岐消防本部に、郷ノ浦町郷ノ浦で火災が発生した―旨の緊急通報があり、防災無線から緊急事態発生のアナウンスが流れ、サイレンが鳴り響いたが、しばらくすると、火災は発生しておらず、その緊急通報は“誤報”であることが防災無線から流れた。これは非常に悪質な行為であり、決してしてはならない恥ずべき行為である。どのような理由があろうと、故意に誤った情報を、関係機関に通報するなど言語道断。このような事は、決してあってはならない。
住民の安全と安心を確保し、犯罪や事件、事故の防止や災害などから住民を守り助けるなど、明るく住みよいまちづくりのため、住民と警察、消防、海上保安庁をつなぐホットライン、ライフラインであり、無闇に使うものではない。自分を含め、今ある社会、自然環境に突発的な異変が発生し、危険が迫り来るような場合など、何度も言うが緊急事態が起きた際の、大切な手段である。とにかく警察の110番、消防の119番、海上保安庁の118番と、いずれの緊急通報ダイヤルも住民のために設けられており、使う側の理解と協力で、先に書いたような危険が迫り来る緊迫した事態を回避することもできるのである。その重要性を市民それぞれに再確認して、できるだけ自身の安全確保につとめよう。
2005年1月17日 第4210号より
新たな営農業で発展を−エコファーマに88人認定−
壱岐農林業活性化大会
壱岐地域農業振興協議会(会長・長田徹市長)主催の「壱岐地域農林業活性化大会」が20日、勝本町、かざはやで、農業者や農協各生産部会、農協青年部、同女性部など関係者ら約200人が参加して開かれた。同大会は、農業の振興と活性化を図る目的で行われ、県農業賞の授与式、堆肥等を活用した土づくりと化学農薬・肥料の使用を低減することなどに取りくむ農業者を知事が認定した「エコファーマー」の認定証交付式があった。
県農業賞授与式では、葉たばこ部門で、徹底した土壌管理対策や病害中防除対策、常に収量、品質共に高い水準を保ち技術が高いこと。肉用牛部門では、葉たばこと飼料作物の輪作による自給飼料の確保や子牛の育成の委託による省力化など農業経営の効率化に努力していることから、岡口勝洋さんと富美子さん夫妻が県知事賞に選ばれ、飼育管理技術の向上と優良牛の増頭などに向けた活動に努力し、子牛の価格は平均価格より高く、飼育頭数も増加し、規模拡大が図られていることなどから、勝本町東触和牛研究グループに県地域農業振興協議会長賞が贈られた。
エコファーマー認定交付式では、市農協メロン部会(野元博幸部会長)の会員88人が新たに認定され、既に認定されているアスパラ部会69人、イチゴ部会57人を合わせて、延べ214人(実数178人)となり、主な施設園芸が全て認定された。また、税理士の平山寿則さんの講演「農家の税金あれこれ〜個人の税金と法人の税金」が行われた。
34校5402人が来島予定−本年度・修学旅行客−
壱岐観光協会(村田好弘会長)でこのほど、本年度の修学旅行客の来島予定者数がまとまった。まとめによると、本年度は今のところ、近畿や関西方面、宮崎から中学校30校、高校は大阪、奈良、愛知、静岡の4県から各1校、合計34校、5,402人の来島が予定されており、第一陣は4月19日から2泊3日の日程で初来島の岡山市立岡輝中学校の130人で、ラストは12月8日に初来島、1泊2日で壱岐を旅する静岡県立磐田農業高校の203人となっている。最多来島校は11回目の愛知市立岡崎城西高校の250人。
寒気を突いて力走−武生水が優勝−
第15回郷ノ浦町内1周駅伝大会
郷ノ浦町体育協会、同町6地区公民館など主催の「郷ノ浦町内一周駅伝大会」が16日、初瀬浦をスタートして、町内を巡り文化ホールにゴールするコースで開かれ、武生水が2時間2分17秒のタイムで優勝した。今年で15回目を迎えた同大会は、町内6地区の代表チーム・各12人、72人の選手が出場して行われ、選手たちは、沿道の市民ら多くの応援を背に、寒気を突く走りで健脚を競い合い、12区間31・6†でタスキをつないだ。
大会の主な成績は次の通り。
▼総合†武生水2時間02分17秒†渡良†初山†沼津†柳田†志原▽前半(1区〜4区、8†)†武生水†柳田†沼津▽中間(5区〜8区、11・8†)†沼津†武生水†渡良▽後半(9区〜12区、11・8†)†武生水†渡良†初山
「広報いき」が最優秀賞−組み写真では優秀賞−
県広報紙コンクール
県主催の平成17年県広報コンクールの審査がこのほど、長崎市で行われ、壱岐市の「広報いき」(8月号)が広報紙(市)の部で、見事に最優秀賞に輝き、組み写真の部でも「267年続く『男いき』−郷ノ浦祇園山笠」(9月号)が優秀賞に選ばれた。
風のささやき=原の辻遺跡って?=
「原の辻遺跡の素晴らしさって何?」と聞かれることがたびたびある。例えばその質問には▽魏志倭人伝の記述の中で、倭の国々で国名がわかり、王都が特定できるのは原の辻遺跡だけ▽弥生時代の遺跡として静岡・登呂、佐賀県・吉野ヶ里、壱岐・原の辻の三遺跡が国指定特別史跡で、いわば国宝であること▽シルクロードへも繋がってゆく、大陸との交流、内外への窓口▽豊かな自然、美味なる食材などは、国内にはこの島以外にも、本物とされる地域、物が数々ある。が、原の辻遺跡は壱岐の島にしかない本物中の本物であり、他にはないという実感がある−などと応えるようにしている。
はたして、そう応えているうちに、それを本当に実感しているのかと、疑問に思えてくることもあり、県内各地の資料が集まることになり、研究施設としての色合いが濃い埋蔵文化財センターや市の博物館が、その本物をしっかりと受け止められ、応えられる施設として整備され、福岡県・太宰府に建設される九州国立博物館とも連携し、より“その素晴らしさ“を実感し、内外に十分にアピールできるものであってほしい。
加えて、この“何?”の問いに、子どもらにもわかりやすい言葉で応えるための専門家の工夫、興味を持たせるための工夫、さらには本紙をはじめマスコミのより一層の理解と協力、PRが望まれる。「知る」「知らせる」ということが市民と行政、専門家、マスコミと、双方向でキィワードとなろう。
本物を知り、学び理解しようとする市民はもちろん、興味ある人々の姿勢にも素晴らしさがあるが、何より他にはない、この島にしかないという素晴らしさを、児童・生徒らの学習、市民の生涯学習の中で伝え、全壱岐市民の誇り、アイデンティティ、バックボーンとなりえる存在として知られる程に、その活動を展開する必要があるのではないか−と、その質問に応えるたびに観じられる。
大阪からチヌ釣り取材=大物はマダイ2・1†=
編集長の釣行メモ
大阪の釣り雑誌「ちぬ倶楽部」の取材で15日、編集長の四元秀敏さんが来島、瀬渡し船「シータイガー」・久間清喜船長の紹介で、一緒に竿を出すことになった。「チヌパワーズ」といかにも…な釣りクラブを主宰していることもあってか“白羽の矢”ということになったのかどうかは、定かではないが、とにかくクラブの釣友と3人で、今が一番釣りにくいチヌに挑むことになった。最近は北西からの季節風が強く、海はシケ模様の日が多く、その当日は、前日までの天気予報では寒が締まり雨か雪の予報だっただけに、郷ノ浦方面は無理かも、と思っていたが、天候に恵まれ、机島横の金白という磯から、イルカ鼻を見るような場所から北西の風を背に受け、午前10時半ごろから釣り始めた。
以前から知人に、フグが釣れたら持ってきて†と言われていたが、そのフグが釣り開始早々から入れ喰いとなり、潮が郷ノ浦に向かうように流れている間中つれ続けた。ちなみにフグは、“もしも”ということもあるので、持ち帰ったことは言うまでもないが、後でずい分と責められて†。その潮が緩み始め、そろそろ昼食のことが気になり始めたころ、写真の50†オーバー、2・1†のマダイが四元編集長の竿を絞り込み、見事なやり取りでアッというまに釣友の差し出す玉網に納まった。
この後もフグが当たり続け、針ごとずい分エサを取られたものの、夕方五時過ぎの納竿までにキロ級のマダイ2尾、25†クラスのマダイ1尾と、マダイばかり4尾の結果で、今回は赤ではなく黒の取材だっただけに、普段の釣りとは逆の残念な結果となった。
「来月の下旬には、大型のチヌが釣れ始めるとは思う。グループで“束(百)”の結果も珍しくない、春から初夏に、是非、再取材を」と頼んではみたが†である。果たしてその「チヌ倶楽部」にはどのように紹介されるのだろうか。
ひとしずく
最近、壱岐でもカゼがはやっている。あちこちで、鼻をグズグズさせ、せき込んでいる人たちを見かける。吐いたり下したりする人もあるという
▼今年に入ってから、カゼなどが流行しやすいとされる乾燥して寒い日が続いている。昨日20日は、二十四節気の一つで、このころが1年で最も寒いとされる「大寒」で、前後して納得できる天候の毎日で、エアコンをフル回転させて、外気以上にマイルームを乾燥させていたこともあってか、この数日、ノドに違和感を感じていたら、すっかりひきこんでしまった
▼カゼは、胃腸の疲れも原因にあげられるーと聞いたことがあるが、これにピッタリと当てはまるような生活が続いただけに、この辺りから、身体からのメッセージを受け取って、体調を整えたいと、このカゼの"お陰"でーと、今、考えているところで、春本番を前に、身も心も今少し軽快にーなどとも?
▼先日、センター試験が行われ、いよいよ受験のシーズンに突入した。受験生は最も大切な時期を迎え、カゼなど引かぬよう手洗いとうがいを、帰宅した際などには徹底するなど、"その時"に体調を崩し実力を発揮できぬようなことがないよう心掛け、万全の体制でチャレンジしてもらいたい
▼とにかく、万病のもととされるカゼなど引き込まぬよう体調を整え、それぞれのチャレンジや仕事を頑張ろう。
社説 −「阪神・淡路大震災十周年追悼式に」に−
日本漢字能力検定協会(京都市)は毎年12月、その年の世相を象徴する漢字を公募し、応募の中から選定して京都、清水寺で発表している。昨年は、相次いで日本列島に上陸した台風や新潟中越地震、記録的な夏の猛暑−の天災、イラクでの人質殺害、国内では幼児の虐待、子どもによる殺人事件−などの人災も多発したことを反映し、人間の自然などに対する身勝手さや天災に無力さを痛感するなどの意見も多かったことから、「災」の字が選ばれ、清水寺の森清範貫主が揮ごうした。
今月17日は、6,433人の生命が奪われた戦後最悪の災害、阪神大震災から丸10年に当たり、各被災地では遺族らによる鎮魂への祈りが捧げられ、兵庫県神戸市では「阪神・淡路大震災十周年追悼式」が天皇、皇后両陛下も式典に参加して行われ、天皇陛下は「−震災の経験と、得られた教訓を、広く人々に伝え、将来にいかすための様々な試みが進められ、国内外で地震の発生に備え、災害の復興に当たり、兵庫県の経験に学び、受け入れる努力がなされていることは、誠に意義深い。−一人でも多くの命が災害から守られる安全性の高い社会を築いていかなければならない」などと、追悼のおことばを述べられたという。そのおことばの通り、一人でも多くの命が災害から守られる安全性の高い社会を−と、スマトラ沖地震など大災害が発生し、その報道を目に、耳にするたびに思う。それは、大地震や津波、洪水などの自然災害、紛争、戦争、内戦、テロ事件、事故から、自然、環境の破壊−の人災と、あらゆる災害からである。人々が安心して自分を発揮しながら、安全に暮らすことができる平和な社会づくりは、人類の共通した努めであるはず。
災の字を揮ごうした森貫主は「災いが転じて和を招くように、来年は心一つになって、世界も和む年になってほしい」と話したとされるが、「一人ひとりは小さな私たちが、毎日をできるだけ和やかな心で過ごすように心掛け、幸福感を普段の生活の中で、路傍の花に気づく様に見出し、その発見に喜び、その一瞬を過ごす。こうした心掛けの積み重ねで人による人災は減り、天災が起きた後も、その地で心が救われる人が多くなる−」と、本紙でも何回か紹介した神戸市の隣り、赤穂市の天台宗・普門寺の住職が話してくれたことを今思い出す。阪神大震災被災地の地区追悼式で、灯したろうそくで書かれたという「かんしゃ」の文字や「1・17」の文字、祈る市民の姿からもつくづくと思われる。その普段の「心掛け」−が。
2005年1月17日 第4210号より
高い品質で地域に貢献−壱岐たばこ耕作者大会−
市内のたばこ耕作者らが一堂に会し、本年の葉たばこづくりへの決意を新たにする西九州たばこ耕作組合壱岐支所の壱岐たばこ耕作者大会が14日、郷ノ浦町・ホテル太安閣で、山口壮三県議、壱岐農業改良普及センターの北川正所長、澤木満義壱岐市助役ら来賓、関係者約200人が出席して開かれた。
「安全・安心をモットーに、たばこも食品の一つとして、高品質の葉たばこ生産に努めよう」†と行われ、芦辺町、武藤浩さんの「たばこ作りにかける夢」と題する意見発表や表彰などあり、10†で250†の収量を目標に、出席者全員で▽品種本来の特性発揮で産地発展と経営の安定化を進めよう▽規模拡大により1,000万円以上の所得を目指す▽高品質の葉たばこ生産で地域に貢献†など確認した。本市農業の基幹作目である葉たばこの本年度・販売実績は、全体で販売重量37万4,982・5†、同代金は7億5,348万1,400円、人員107人、面積15,855†。
寒気を突いて健脚競う−40回大会に14チーム出場−
勝本町内一周駅伝大会
勝本町体育協会と同町中央公民館など主催の「勝本町内一周駅伝大会」が15日、同町漁協石油部前をスタートし、中央公民館にゴールする町内を巡るコースで開かれた。第40回目を迎えた同大会は、一般の部に5チーム、学生の部に4チーム、女子の部に2チーム、オープンの部に3チームの合計14チームが出場、沿道の応援を背に、7区間20・2†を寒気を突く力いっぱいの走りでタスキをつなぎ、健脚を競い合った。大会の主な成績は次の通り。
▽一般†クールランニング1時間16分04秒†老健壱岐†商高教職員▽学生†鯨伏中A1時間15分05秒†勝本中A†同B▽女子†鯨伏中女子1時間27分51秒†勝本中女子
3部門に8人が登壇−農協青年部・青年農業者−
活動実績発表大会
市農協青年部と壱岐地区青年農業者連絡協議会共催の平成16年度「農協青年部・青年農業者活動実績発表大会」が14日、郷ノ浦町、市農協本所・大会議室で開かれた。
同発表大会では、組織活動、青年農業者実績発表、同意見発表の三部門に8人が登壇して、農協青年部の代表が、日ごろ取り組んでいる共同プロジェクトや活動の成果などについて、青年農業者が、これまで農業を通して感じ、考えてきたことなど、8人がスライドを使いながらそれぞれ発表した。組織活動の部では4人が登壇し、審査の結果、「新生壱岐!新たなる食育事業への挑戦」と題して発表した那賀支部の山川純市さんが最優秀に選ばれた。
文化部の活動成果披露−壱岐商業新春コンサート−
壱岐商業高校(中村直行校長。350人)の壱州荒海太鼓部、吹奏楽部、報道部など文化部の活動の成果を発表する「新春コンサート」が16日、勝本町、文化センターで開かれ、多彩な企画で訪れた保護者、市民らを楽しませた。
会場では、ロビーで報道部・写真班のポスターと新聞班の商高新聞、ボランティア同好会のキルトの紹介、生徒会・生徒会新聞の展示などあり、ホールでは太鼓、吹奏楽の演奏などに加え、『わたぼうしコンサートinながさき2004』の最高賞・わたぼうし賞と県知事賞を受賞した作品「ありがとう」を作詩した同校卒業生、白川のぞみさんと作曲をした小西秀徳さんが、ギターの弾き語りで歌い、白川さんと友人の割石亜希さんが手話で披露、感動のステージとなった。
ひとしずく
〜ごんべぇが種まきゃ、カラスがほじくる〜。こんな歌詞のCMソングがあったように思う
▼最近、道横に投げ捨てられたジュースやコーヒーのアキ缶が目立つようになってきているように思う。車でよく通る道の両脇にもズラリと並んでいる。子どもたちや地域住民の手で集めて処分される奉仕作業など、市内各地で実施され、本来ならあまり落ちていないはず…ではあるが、である
▼壱岐保健所などがパトロールをして、アキ缶より大きい生活ゴミ、電化製品などゴミの不法パトロールを行っているものの、人通りの少ない海岸沿いの道やガケ、急斜面などには、たくさんのそうしたゴミが捨てられている。今月一日からは廃車もきっちりと処分することが義務付けられたが、まさか、車をそうした場所に不法に捨てたりすることはないと思うがどうだろう
▼以前、都会の道路横に捨てられた廃車の処理に自治体が苦慮している†のTVニュースを見たことがあるが、こうしたゴミ問題は捨てない意識を高め、大人が子どもたちにその姿勢を示しながら、指導し、道にポイ捨てをしないこと、不法投棄をすると何より自分の心が痛む†という点まで意識を高めることが、今さらのように望まれている
▼よく、子どもは大人の背中を見て育つと言うが、ゴンベエとカラスの関係にならぬよう、そんな点からも地域の環境を見直そう。
社説 −市民皆で“火の用心”−
各町消防団の出初め式が6日に行われ、壱岐広域圏町村組合・消防本部から壱岐市消防本部となって第一回目の「壱岐市消防出初め式」が8日、来賓ら多くの関係者が見守るなか、消防署の訓練場で行われ、高所からの人命救助、事故車両からの救助訓練、放水訓練などが、まさに“プロの本領”、日ごろからの訓練の成果を発揮して展開された。
消防本部がまとめた昨年中の火災発生状況は、総件数が55件、このうち建物火災19件で、原因別に見た火災の発生状況は(1)21件・たきび(2)5件・火入れ(3)4件・コンロ、調査中(4)3件・風呂かまど、その他、不明(5)2件・タバコ、溶接機(6)1件・放火の疑い、火遊び、配線機具、電灯配線、放火、内燃機関、焼却炉、煙突となっている。
一方、昨年の救急発生状況は全体で1,303件で、急病736件、一般負傷事故197件、交通事故76件などとなっており、旧四町別に見ると、▽郷ノ浦511件勝本310件▽芦辺316件▽石田166件。壱岐市の消防署の署員数は、山川明消防長以下62人で、その署員が7人が消防本部、本署26人、郷ノ浦支署16人、勝本出張所8人、空港出張所5人で、この内8人が消防本部と消防署を兼務しており、市内で発生した火災や事故、救急と、一刻を争う緊急事態にフレキシブルに対応するべく態勢を整えている。
昨年中は火災、救急と合わせ1,358回を超える市民からの“SOS”に対応したことになる。いつ発生するとも知れない火災や自然災害、事故、急病†と、そのSOS通報に迅速に、的確に対応できるように訓練を含めて、精神的にも肉体的にも日夜備えているわけで、「市民の尊い生命、貴重な財産を守る」という強い使命感が、その出初め式からは感じられ、市民の信頼に十分に応うるものであったと思う。
今年は7日の火災で既に犠牲者が1人出ているが、新春とはいえ、これからまだまだ寒い日が多く、冷たい季節風が強く吹く上、空気が乾燥して暖房器具の多様などから、火災が発生しやすい毎日が続く。
壱岐市消防本部は、▽家の周囲に燃えやすい物を置かない▽寝タバコ、タバコの投げ捨てはしない▽天ぷらをする際はその場を離れない▽強風時にはたき火をしない▽子どもにはマッチやライターで遊ばせない▽電気器具は正しく使い、タコ足配線はしない▽ストーブに燃えやすいものは近づけない†と火災予防を訴えている。我々市民もそれぞれに火の用心を心掛け、安全で安心な地域づくりに参加しよう。
2005年1月11日 第4209号より
新成人の旅立ち祝う−市内外459人が対象−
壱岐市・第1回成人式
新成人として社会に船出する若者たちを祝福する壱岐市・第1回目の成人式が「成人の日」の10日を前に9日、郷ノ浦町、文化ホールで、スーツや華やかな和服姿の新成人が、旧四町から一堂に会し、晴れやかに行われた。
対象者は昭和59年=1984年=4月2日から同60年=1985年=4月1日の間に誕生した若者たちで、対象者数は市内在住者334人(男186人、女148人)、市外在住者=昨年12月24日現在=125人(同66人、同59人)の合計459人で、新成人それぞれが、社会人、公民としての自覚を胸に、決意も新たに壱岐市として初の成人式、記念すべき式典に臨んだ。
1368人が完走−ゲストはアテネ五輪金・野口みずき選手−
第19回壱岐新春マラソン
2005年の走り初め、本島に新春の訪れを告げるスポーツイベント第19回「壱岐の島新春マラソン大会」(同大会実行委員会主催)が9日、芦辺町、市ふれあい広場をスタート・ゴールする特設コースで開かれ、小学生から一般までのランナーが健脚を競い合った。
壱岐市誕生記念と銘打った同大会は、アテネ五輪女子マラソン・金メダリストの野口みずき選手を招待選手に迎えて盛大に開かれ、2†、3†、5†、ハーフマラソン(21・0975†)の4部門18種目に、過去最高となる1515人のランナーが島内外からエントリー、沿道からの市民の応援を背に、ハーフマラソンに出場の選手たちは、野口選手と一緒に、海を吹き渡る冷たい北風を受けるシーサイドコースで元気いっぱいの走りを見せ、1368人が完走した。
野口選手は、ゴール後のインタビューで「風が強いコースでしたが、沿道からの壱岐の皆さんの応援がとても温かかったです。壱岐で走ったことを忘れずに、今後も頑張ってきたい」などと話していた。 野口選手は今回の来島で、市内の児童、生徒らからのQ&A、講演や世界一長距離教室など行い、トークショーでは、アテネ五輪のマラソンは暑さが厳しく、非常に苦しいレース展開が続いたこと、日々の食事のや目標を持った練習の大切さなど強調した。
また、今年もボランティアスタッフによる豚汁、ぜんざいなどの心のこもったサービス、サポートがあり、大会を大いに盛り上げていた。
〜風のささやき〜
今回、1月11日号は、アテネオリンピック女子フルマラソンの金メダリストの野口みずきさんの特集号のような感がある。その野口さんは、招待された壱岐新春マラソン大会の打ち上げに藤田信之監督と参加、野口さんはあいさつで、大会役員から、長距離走が苦手な小学生が、体が小さい野口選手が走るのを見て、自分も頑張ろうと思ったと話した†と聞かされ、とても感動して「壱岐のマラソン大会に来てよかった。今まで一生懸命に走ってきたことが、子どもたちの励みになっているなんて†」と涙ながらに語り、打ち上げに参加した実行委員らも感動したという。
子どもたちが選手としての野口さんを見る感性豊かな目、純粋な心、そこから溢れるように出て来る言葉を心の奥深いところで受け止めることができる野口さんの澄んだ感性、そして共鳴。スポーツをすることの意義の一端、忘れられていそうなコミュニケイション、大切な人と人の心の交流、何にもかえ難い本物との交流があり、目には見えないが大きな財産となっているように思う。
「交流」は壱岐の多様な地域振興のキィーワードでもある。
松本さん(沼津小6)が優秀賞−社明運動作文コン
「社会を明るくする運動作文コンテスト」がこのほど、犯罪や非行の防止、罪を犯した人の更正について理解を深め、明るい社会の構築を目的に、法務省が主唱する「社会を明るくする運動」の一環として行われ、人と人、心がふれあうことの大切さなど書いた沼津小学校六年、松本めぐみさんの作品「未来への決意」が優秀賞の日本更生保護女性連盟会長賞に選ばれた。
約310万円に−新潟中越地震災害義援金−
日本赤十字社長崎県支部壱岐市地区(地区長・長田徹壱岐市長)は、新潟県中越地震の義援金(昨年11月30日まで)として、地域募金153万8,901円、個人、団体等募金156万9,863円の合計310万8,764円が集まったことを明らかにした。また、壱岐市議会(議員62人)は、県議市会議長会を通じて31万円を被災地へ送った。
ひとしずく
昨年の釣りは、12月に入り1mを超える地グロ(クチブトメジナ)やオナガグロ(オナガメジナ)、2†近いマダイ、40†を超す大イサキ†と、気分よく納竿した
▼今年の初釣りは、北西の季節風が強くシケ模様の8日、オナガグロのしゃぶしゃぶを夢にいつもの渡良・牧崎の釣り場に釣友と行くはずだったが、そうした天候のため行けず、牧崎の「鬼の足跡」を右手に見て岬の先端まで行き、岩場を大瀬(うーせ)灯台が見える左側に降りた釣り場へ立った
▼この釣り場では、1†を超すようなクロは望めないが、毎年、今ごろの時季、強い北西風でシケた日に、チヌ(クロダイ)が釣れていたことから、この場所を選んだ。風も波もこの岬により押さえられ、、1年中、チヌ釣りをしていたころから、こうした日に通う釣り場で、今回も“二尾はイケル”と踏んで釣りを開始
▼海水温は昨年の納竿のころに比べて3度以上下がって16・4度(バケツに汲んだ海水)。一瞬、不安を感じたが打ち消して釣り始めたものの、釣友とともに外道のクサビ(ベラ)、フグが釣れた数匹ずつ針に掛かっただけで、寒さを体感しに行ったような“お寒い”釣りとなった
▼今年も、編集長の牧崎中心の釣行を記録した「編集長の釣行メモ」を4面に紹介したいと思っています。少々偏った釣り紀行ですが、ご愛読のほど、よろしくお願いします。
社説 −2005年の成人式に−
旧四町の合併により市制が施行された本市の記念すべき第1回成人式が、「成人の日」の10日を前に9日、郷ノ浦町・文化ホールで、市内外に住む男女459人を対象に行われ、20歳†はたちの若者たちが、社会的にも法的にも“デビュー”を飾った。
新成人たちが旅立ったこの社会は、景気を建て直すためにと行われる多様なリストラ、大きく変化することが望まれている旧来のシステム†と、人生の目標を定め難い状況であり、そこからの不安、テロ、紛争と不定な国際情勢、国民から乖離しているような政治などからくる不安と、厳しい状況であることは言うまでもなく、果たさなければならない責任は重くなる一方で、そこに無力感や閉塞感が意識されることもあろうが、この予測が困難な現状に、まずは、自分がその場でできるチャレンジにトライしてほしい。
「夢はなんですか」「高い壁にも大きな夢を持ってチャレンジして下さい」「尽きることのない夢、目標に向かって自分の可能性を信じ、自分を見失うことなく、あきらめない先輩たちであってほしい」などと、小、中学校の代表が、式典でメッセージを贈り、「第十九回壱岐の島マラソン大会」のゲストとして来島したアテネ五輪、金メダリストの野口みずきさんは、式典での記念講演で、「小さな目標から大きな目標へと、一段一段ていねいに、あせらず階段を登りながら歩んでほしい。私も皆さんと同様に、近い目標から大きな目標に向かい、練習を積み重ねています」などと新成人たちを激励、壱岐市初の成人式での、金メダリストの講演と、思い出に残る式典になったのではないか。
先にも記したが、漕ぎ出す社会の荒波は非常に高く厳しさを増す一方のようではあるが、本紙の元旦号「元気・活力†“風”が吹く島づくり」コーナーで、壱岐商工会青年部連絡協議会長など務める樋口伊久磨さんが「とにかく『無風』であることは、クリエイティブに、有効に時間が費やされていない状況で、そこからは何も生まれてこない。とにかく自分ができる何かを行動に移し、続けていれば、そよ風にも、何かを生む、変化を呼び込む風にもなる。『元気な島にしたいよね』の風を現実に吹かせて“元気いっぱいになりたい”」−と話し、そのコーナーでは、勝本FMの斉藤智之さんが「夢を遠ざける島の現実があったとしても、夢に向かう意志を絶やさずに」などと述べており、新成人一人ひとりが、そうした風の源となり、変化を恐れることなく吹かせてもらいたい。まさに「たとえ夢を遠ざける現実があったとしても」である。
2005年1月6日 第4208号より
壱岐の5建造物を登録−県『まちづくり景観資産』−
県が登録する「まちづくり景観資産」にこのほど、石田町石田西触、碧雲荘(主屋、門、庭園)、花雲亭(茶室、待合)など市内の五建造物が登録された。「まちづくり景観資産」登録制度は、県内の良好な景観資産を守り伝えることを目的に、個性的で魅力ある景観を形成しているまちなみや地域景観の核となっている建造物を登録し、観光資源として魅力を高め、交流人口の拡大などにつなげよう−と行われている事業。
全国でも珍しい取り組みで、九州では今のところ本県のみとされ、平成16年4月から現在までに、まちなみ20件、建造物67件の合わせて87件が登録されている。本市から今回の登録で、碧雲荘と花雲亭のほか
▽郷ノ浦町片原触、弁天荘の主屋と門▽勝本浦町勝本町、旧松本薬局▽芦辺町瀬戸浦、前田家住宅が登録された。
1515人参加、9日午前10時号砲−アテネ五輪金・野口選手らゲスト−
第19回壱岐の島新春マラソン大会
新春恒例のスポーツイベントとして定着している「壱岐の島新春マラソン大会」(同大会実行委員会主催)が9日午前10時から芦辺町、ふれあい広場をスタート・ゴールする特設コースで、今年はゲストにアテネオリンピック女子マラソンの金メダリスト・野口みすき選手と藤田信之監督を招いて開かれる。
第19回目の今大会は、一般が前大会に比べて179人多い670人、学生は同70人増えて845人と、野口選手参加の効果もあってか、総申し込み者数が1500人を突破、合計1515人がエントリー。島内勢は1138人(153人増)、島外からは377人(96人増)。
初春の空に威勢よく放水−今年も4町で一斉に−
各町消防団・出初め式
新春恒例、各町消防団の出初め式が6日、4町でそれぞれに行われ、今年から本市の女性では初めて団員になった元三島婦人消防隊員の女性団員53人も参加した。
正月三箇日に約9,000人の人出
−芦辺町住吉神社−
正月三箇日の島内の各神社は、多くの初詣客でにぎわった。本島の代表的な神社、芦辺町住吉神社でも、家族連れや帰省客、受験を控えた中学生、高校生らが大勢詰めかけ、それぞれに本年にかける目標や意気込み、健康など祈願していた。
多くの来場を!−壱岐商業高校新春コンサート−
壱岐商業高校・文化部の新春コンサートが16日午後2時(開演)から、勝本町、文化センターで開かれる。壱州荒海太鼓部、吹奏楽部、情報メディア部、報道部、ボランティア同好会、生徒会により行われる同コンサートは今年で3回目で、今回は「わたぼうしコンサート」大賞受賞曲・「ありがとう」を作詞した同校卒業生の白川のぞみさんと作曲者の小西秀徳さんを迎えて行われる。入場は無料で市民多くの来場が呼びかけられている。
同コンサートについて詳しくは同高校、中村・西両教諭(電話42−0205)まで。
ひとしずく
久しぶりに正月休暇で東京へ帰省した。実家に着いた翌日、大晦日の午後から雪が降り始め、出先からタクシーでやっと家にたどり着き、夜にはその雪は数センチ積もり、近所の屋根を白く覆っていた
▼元旦は見事な青空が広がる快晴で、家のベランダから見える真っ白に雪をまとった富士山の美しさに見とれ、一年の計など考えているうち、再会を約束していた知人宅へ向かう時間となってしまい†
▼その知人は千葉県銚子近くに住み、無農薬飼料による鶏卵生産を手掛け、食する人々の生命を健康に役立つうまい作物をつくる循環農法を†と国内外で訴え続け、自分の農場から生産される農産物で実証したいなどと話す大松秀雄さん
▼世界各地で土が荒れている。日本も危機的状況にあるが、今ならまだ間に合う、土がこの肉体となり、心・精神をも育む。先人たちが気づき、生活や田畑で活かしてきた知恵を復活させたいと話し、土いじりが苦手と話す私に、この春にプランターで何かつくってみれば、きっと新たな自分を発見するなどと力説、この春のチャレンジを約束させられた
▼彼は「これからは規模の拡大より、まず自分のグレードアップに努め、“本物の百姓”を目指したい」と、今後の目標を語り、何より自分のグレードアップが大切†と強調しているのを聞き、これを公私共に一年の計として、新聞づくりはもちろん、自分づくりに活かしたい。
社説 −2005年スタート−
壱岐市がスタートして2年目になる2005年が開けた。社会は、気象の異変などの自然災害やテロ、紛争といった不安な事態、一部の企業を除いて続く景気の低迷によるリストラなど、不透明な先行きから脱することができず、様々に価値観や個性が揺らいでいるようでもある。本紙はそうした社会の背景をちらつかせる2005年に臨み、ふくらみゆく夢と希望を託し、「芽」「湧く」「創(つく)る」の三つの言葉を、元旦号で知事や市長らの年頭のあいさつのページに配した。
「芽」は、物事の兆しを表し、幸運が巡り物事が成長する兆しを示し、「湧く」には、水などがひとりでに大地から噴き出してくるように、新たな風が起こり、人々にも新たな動きが、自然発生的に出てくることをイメージし、創造という言葉にもつながってゆき、「はじめ・はじめる・はじめてつくる」の意がある創の字から、受け取れるイメージ、インスピレーション、ストーリー性と、そこに、市民一人ひとりの行動の積み重ねで、創造される壱岐島の歴史のキィーワードとして、次代を担う若者たちを育てる大人たちのメッセージ−との思いを込めた。
長田徹市長は、新年のあいさつの中で、「新生壱岐市の誕生を機に壱岐市一丸となり、市民の皆様が主役となって、市の特性や資源を活かした夢のあるまちづくりを実現しよう†」と記しているが、まさに壱岐市づくりの主役は市民一人ひとりで、その一人ひとりが“主役”としての自信と誇りを持ち、それぞれの場で、時には異なる分野の人たちと交流しながら思いっきりのアクションを起こし、長田市長のそのあいさつにもある通り、数年後に合併して良かったと実感できる壱岐づくりを展開したい。
今年の干支(えと)は十二支の十番目に当たる「酉(とり)」で、元旦号1面に「繋」という字を書いた福田敏氏は、「酉年は、好転の年ともいわれる。国際問題、国内の社会問題など、更なる前進を願って希望を繋ぐ年にしたい」としているが、同感であり、そうあって欲しいと思う。4日には壱岐でも諸官庁や各事業所で仕事始めを迎え、きょう6日には各町消防団の出初め式が行われ、初春の空にも示された各団員の果たすべき責任への決意がこの島全域にみなぎり、心身共に身が引き締まる思いで、この1年を思った市民も多いのではないか。
本紙も郷土紙の一紙として文化の一端を担い、創出していることを忘れぬことなく、この1年間を新聞づくりに励みたい。
島の観光
ここでは壱岐の観光名所を、古墳、史跡、名勝、海水浴場、観光施設の5つに分類し、それぞれに紹介ページを用意しています。
元々、壱岐は周りを海で囲まれていること、歴史的に重要な位置にあったことなどから大きさを考えると豊富な観光資源を持っているということが言えます。
さあ、写真や文章から壱岐の観光を堪能してみましょう!
古墳群
- 掛木古墳
古墳時代の石棺の一種で、蓋が屋根の形をしているもので、古墳時代の中期頃からはじまり、後期に入り流行った古墳である。掛木古墳は、県下で唯一の「くりぬき式家形石棺」で資料としても貴重なものとされている。- 百合畑古墳群
壱岐の島の中央部に集中する古墳91基のうちの20基が百合畑古墳群で、島内に10基ある前方後円墳の半数の5基が百合畑古墳群にある。その中に、「百合畑古墳園」があり、ここに前方後円墳など6基が存在している。- 原の辻遺跡
芦辺町と石田町にまたがる丘陵を中心とした、今から約2200†1700年前の弥生時代の大規模環濠集落で、「魏志倭人伝」に記載された「一支国」の王都である。
史跡
- 河合曽良の墓
「奥の細道」に随行した芭蕉の高弟、河合曽良は壱岐の勝本浦で宝永7年に客死している。その墓と句碑が勝本城跡の一角に、「春にわれ乞食やめても筑紫かな」と刻まれている。- 安国寺
元寇の役以降、暦応元年(1339)足利尊氏が、たくさんの死者の冥福と天下の安泰を祈るために、全国六十六州と壱岐・対馬の両島に一寺一塔の寺塔建立を命じたうちのひとつである。高麗版大般若経(重要文化財)をはじめ、境内には、樹齢約千年といわれる端正な大杉がそびえている。- 東洋一砲台跡
対馬海峡を航行する艦船を攻撃する要塞砲として、玄海をすべてその射程内においたほどの巨大砲である。黒崎砲台は口径41cm砲身18mの2連砲で、平常は地下に潜り海上からは見えず、その破壊力と長い射程距離は東洋一を誇った。終戦時、解体されたが施設は当時のままである。- 月読神社
天照皇大神のご神徳は太陽にたとえられ、月読尊のご威徳は月になぞらえた事から、西暦487年、月読神社として天月神命を祭ったとされる。壱岐の県主の祖、忍見宿称(おしみのすくね)が壱岐から京都に分霊に行かれたことで、全国に神道が根付くようになり、壱岐は神道の発祥の地となった。
名勝
- 蛇ヶ谷
蛇ヶ谷は、辰ノ島の高さ50mという見事なまでの断崖。足がすくみそうな鋭さは、海蝕作用によってできたもの。年月をかけ造りあげた自然の神秘的な造形美はためいきが出そうなまでに素晴らしい。この辰ノ島には他にも白砂の海水浴場や天然記念物「イワダレネズ」を始めとして海浜植物群落(国指定)がある。- 牧崎/鬼の足跡
東シナ海に面して突出した半島で先端の断崖は平均30mの高さで、半島は天然の芝生で覆われ、周囲110mに及ぶ大穴は鬼の足跡と呼ばれる。遠足や行楽などに利用される美しい芝生の海浜公園のような存在である。- 左京鼻
八幡半島の突端にある玄界灘に面した約1kmのダイナミックな海蝕崖と、なだらかなスロープ状の草原。この景観は一見の価値あり。現天皇も皇太子時代に訪れたことがあり、見晴らしを絶賛したという。- 猿岩
黒崎半島の突端にある奇岩。高さ約50mの猿岩は、ちょうど猿が遥か彼方の海を遠い目で見つめているようだ。半島の周囲は断崖絶壁で上部は天然の緑の芝生で覆われている。見れば見るほどそっくりな猿岩が語りかけているようだ。
海水浴場
- 辰ノ島海水浴場
〔全島天然記念物〕勝本の北西海上1kmに浮かぶ小さな島で、壱岐随一の景勝地。西部の蛇ヶ谷は高さ50mの断崖絶壁、白砂の浜は海水浴場に適し、島内には種々の海浜植物が繁茂している。対馬海流が流れている島付近は絶好の釣り場でもある。- 筒城浜海水浴場
美しい海岸線を持つ石田町の3つの浜の中でも一番大きな筒城浜海水浴場は、筒城崎に外海の波を遮られ、穏やかな遠浅の海がどこまでも続いている。またビーチから防砂林を抜けるとシャワー室やレストラン、休憩室を備えた石田野外趣味活動施設もある。石田町野外趣味活動施設では、テニスやキャンプも楽しむことが可能だ!! - 錦浜海水浴場
古く、神功皇后の綿の衣を干したことからこの名が伝えられる、波穏やかな砂浜には子供連れの観光客が多く訪れている。隣にある大浜とは、遊歩道で結ばれ、朝夕の浜辺の散歩を楽しむことができる。- 大浜海水浴場
ジェットスキーやヨットクルージングなどマリンスポーツの舞台として一番人気があるのがこの海水浴場。ここ大浜海水浴場は、夏場はもちろん、冬もボードセイリングに繰り出す若者が後を絶たないマリンスポーツのメッカとして内外に有名なところでもある。
観光施設
- イルカパーク
イルカと遊べる、そんな夢のようなスペースが壱岐の北端にある。約7,000mのプールには、イルカが約20頭放され泳ぎ回っていおり、とても楽しそうだ。イルカウォッチング、餌付けができ、イルカと人とのふれあいの場所としてつくられた海洋パークである。- 小さな美術館
「香りと芸術」をテーマに種田氏に作られた美術館である。木の香りとハーブの香りに満ちたログハウスで、ここから見える町並みもなかなかいい雰囲気である。館の前にはハーブ園、館の奥には、ティールームがありゆったりとくつろぐことができる美術館である。- 壱岐カントリー倶楽部
壱岐は一年間を通して温暖なため、心地よくプレイすることができるゴルフ場である。美しい緑のコースで、ゴルフの醍醐味をおもいっきり味わうことが可能だ。残念ながら現在は9ホールしかありませんのでのんびりと。
壱岐の歴史
壱岐の歴史です。全国の中でも一つだけ胸を張って言えることは、壱岐が律令制度の中、日本中の国(くに)の中で最も小さいながら一国として認められていたことです。それ故、国に一つだけ置かれる国分寺も、安国寺も存在しました。東北などの広さを考えるとその扱い、重要度は破格だったという訳です。今でも豊穣の島として、海産物、農産物共に島民全ての胃袋をまかなうに足るほど十分な量があるほどです。
そんな私たちが誇りに思うこの島の歴史を簡単な資料よりまとめました。壱岐って何?どんな歴史を持っているの?とお思いの方はぜひこのページをご覧になってください。もっと壱岐を身近に感じて頂けるはずですよ。
原始・古代の壱岐
主に紀元前2・3世紀から紀元前3世紀頃までが弥生時代である。集落は、外濠、中濠、内濠、の三重以上の環濠に囲まれ、南北約850メートル、東西約350メートルのだ円形をした大規模な環濠集落である。その中からおびただしい遺物が出土している。それらは、平成7年4月に開館した「壱岐・原の辻展示館」に収納されている。このほか、壱岐の弥生遺跡は、代表的なカラカミ遺跡・天ヶ原遺跡をはじめ数多くが全島に分布し、古代文明の花を開かせていたものと推測できる。
5世紀から7世紀になると、壱岐国は古墳時代を迎える。この頃になると、勢力をもつ豪族たちが、巨大な古墳を次々に造営した。これらは、鬼の岩屋とよばれているもので、円墳が主で、江戸時代の記録には、338基とあるが、現在は半壊したものを含めて270基が残っている。この数は、実に長崎県全体の古墳の約半分を占めている。当時はいかに繁栄した島であったか、多くの古墳が物語ってくれる。
古墳の壱岐国は、大陸と日本との二つの文化圏の接点として、最も新しい華やかな文化を開花させていた。遺新羅使・遣勃海使・遣随使・遣唐使などの使節団は、壱岐を寄港地として往来した。大陸文化も壱岐を窓口として流入してきた。まさに壱岐は、日本とアジア大陸を結ぶかけ橋であった。しかし、いったん外交上不利な問題がおきると、国境の島としての宿命はさけがたく、国防の最前線として、幾多の外敵の侵入をうけ、悲しい歴史を生むのである。
天智2年(663)日本の水軍は、白村江の戦いで大敗した。これから、唐・新羅の侵入に備えて、壱岐は国防の最前基地となり、翌年には防人と烽(とぶひ)が置かれた。防人は国境守備兵であり、烽(とぶひ)は狼煙のことで、夜は火の光によって、昼は煙によって、危急を知らせる施設である。
天平13年(741)聖武天皇の発願により各国に国分寺が設置されたが、天平16年(774)7月壱岐にも島分寺(国分寺)がおかれることが決まった。壱岐では壱岐直の氏寺があてられた。
律令の制度(奈良・平安時代の法令)では、壱岐は辺要の地と規定され、国司がおかれ、国境防衛と外交の任にあたった。
9世紀末には、新羅人や正体不明の海賊による侵入が目だって増大する。寛仁3年(1019)大事件がおきた。刀伊の賊の襲来である。刀伊とは中国東北部にいた女真族である。50余隻の船で侵入した刀伊の賊は、壱岐に上陸すると悪鬼のような乱暴をはたらき、国司藤原理忠とその手兵はことごとく戦死した。壱岐の被害は、殺害された者は148人、奴隷として連れ去られた者239人、わずかに生き残った者35人という痛ましい数が記録されている。
中世の壱岐
鎌倉時代の壱岐国の守護は、文永10年には武藤(少弐)資能であったという記録があり、これ以後、鎌倉期を通じて守護職は少弐氏が保持していたとみられている。
国境の最前線である壱岐は、常に外敵の脅威にさらされており、元冦(文永・弘安の役)では、壊滅的な打撃をうけた。
文永11年(1274)元・高麗あわせて約4万の大軍が、900の艦船に分譲して合浦を出発した。10月5日、対馬が襲撃され、10月14日、壱岐の北西海岸に上陸した。守護代の平影隆は御家人百余騎で迎え撃ったが、圧倒的な兵力をもつ元軍らの攻撃により、居城の樋詰城に退き、翌15日全滅した。下人の宗三郎は博多へ、壱岐の状況を報告した。壱岐は、元軍らの残虐行為により荒廃してしまった。
壱岐の受難は続いた。7年後の弘安4年、東路軍4万、江南軍10万の連合軍を編成し、再び侵入してきた。伝承によれば、当時、壱岐に鎮西奉行少弐経資の子、資時が守護代として在島し、5月21日の戦闘で戦死したという。また、元軍らは残虐の限りを尽くし、壱岐は死の島と化した。元軍は6月下旬に、壱岐周辺に集結した。6月29日から7月2日にかけて、肥前・肥後・筑前・薩摩の御家人は、壱岐の瀬戸浦で元軍の大船団にゲリラ的な攻撃を行った。弘安の役の結末は、7月30日の夜、大暴風雨によって元軍は壊滅した。このように、元冦(文永・弘安の役)は、壱岐に無残な傷跡を残して終わった。
元冦が終わると、壱岐には九州本土に逃れていた人々や、新たに壱岐に所領を与えられた人々が移住した。そのなかで永仁元年(1293)唐津・岸岳城主波多宗無が武生水村に進出したのをはじめ、石志・志佐・山代などの松浦党の諸氏が壱岐に渡り、徐々に松浦党の勢力下に移って行った。南北朝期、全国に安国寺が建立されたが、壱岐では深江の海印寺を拡張補修し、安国寺にあてた。開山は、無陰元晦和尚である。応永3年(1396)12月5 日顕悦和尚が、壱岐安国寺の住持になった補任状がある。
南北朝期から戦国期にかけて、壱岐の豪族は朝鮮に船を出し、貿易を行った。しかし一方で壱岐は、倭寇(日本の海賊)の根拠地の1つでもあった。つまり、壱岐の豪族の貿易船と倭寇は一体のものであった。その主たる者は、松浦党である。「海東諸国紀」には、まず壱岐島の概略を記し、次に、志佐・佐志・呼子・鴨打・塩津留の松浦党の五氏が分治し、七郷・十三里・十四浦が記されている。文明4年(1472)11月18日に、突如、肥前上松浦の岸岳城主波多泰が、壱岐に攻め込んできたのである。それまで壱岐を支配していた志佐氏ら五氏は、結束して湯岳の都城(芦辺町)で防戦したが、かなわず波多氏の軍門に降る。壱岐を所有した波多氏は、壱岐守護と称し、さきに波多宗無が築いた亀丘城(郷ノ浦町)を修築し、一族の者を留めて統治に当たらせた。
波多氏は、泰・興・盛と三代続いたが、盛に嗣子がいなかったため後嗣をめぐって波多家に内紛がおきる。弘治元年(1555)俗に六人衆とよばれる壱岐の代官らによって、亀丘城代の波多隆が討たれ、翌年には弟の波多重も討たれた。
一方、岸岳城内では、波多氏とその家臣の日高甲斐守との抗争があり、永禄7年(1564)、日高氏は同士とともに波多氏を追放し、岸岳城を乗っ取った。さらに日高氏は、余勢で壱岐に渡り、六人衆を討ち、波多政を壱岐城代とした。岸岳城を追われた波多氏は、佐賀の龍造寺氏、島原の有馬氏の援助を受けて、岸岳城の奪回にでた。日高氏は、平戸の松浦氏に助けを求めたが、援軍がまにあわず、戦いに破れ、壱岐に逃れた。日高氏は、さきに擁立した波多政を自ら討ち、壱岐の主権を掌握した。
岸岳城を奪回した波多氏は、元亀2年(1571)対馬の宗氏に応援を求め、壱岐の日高氏を攻撃する計画をたてる。同年7月、対馬守の弟采女介を主将とする宗氏の軍勢が壱岐の浦海海岸(勝本町)に上陸したが、松浦・日高の連合軍により大敗した。これより、日高氏は松浦氏に従属することとなり、壱岐国は平戸の松浦氏の領有となるのである。
近世の壱岐
天正19年(1591)豊臣秀吉は、朝鮮出兵(文禄・慶長の役)に当たり、壱岐国勝本城(勝本町)の構築を平戸の松浦鎮信に命じた。松浦氏は、有馬・大村・五島の諸氏の応援をえて、この出城を短期間に竣工させた。壱岐からの従軍者は、壱岐城代の松浦信実をはじめ、日高甲斐守らの300余人が出陣している。文禄2年(1593)朝鮮へ従軍した日高甲斐守は、平壌城の戦闘で主従36人とともに戦死した。
平戸の松浦鎮信の時代は、秀吉の九州征伐、朝鮮出兵、関ヶ原の戦いという一連の歴史的事件があった。これらを通して、平戸の松浦氏は戦国大名から近世大名への転換をし、幕藩体制のもとにその地位を確定していくことになった。初期の主印高は6万3,200石。寛文4年(1664)以降は6万1,700石となった。
平戸藩の壱岐統治は、次のように行われた。島は在(農村)と浦(漁村)とに分けられ、在は、24村、浦は、8浦に区分された。在の者は農業、浦の者は漁業・回船・商業などによって生計を立てさせた。
政治機構としては、城代が置かれ、下には郡代2人(壱岐郡と石田郡)がつけられた。城代と郡代はともに平戸藩が派遣した。その下には代官4人がつき、24 村を東目・西目・南目・北目と分けて6カ村ずつ担当させた。各村には床屋を置き、その下には触ごとに朷頭(百姓頭)を置いた。浦には浦ごとに浜使を置き、郷ノ浦にこれを統一する浦役が置かれた。浦役は代官とともに郡代に所属した。
土地は、地割制度がとられた。家族の労働力に応じて公平に田畑を割り渡すのである。この制度は農民に耕作の義務をおわせ、均等な年貢の維持が目的であった。
朝鮮通信使とは、朝鮮が日本に派遣した修好使節である。この通信使の迎接を、平戸藩は壱岐国勝本浦で行った。通信使が通過する沿道の諸大名は、すべて自前で一行を応援し、道路の整備や宿泊所の建築、行列の警固などが課せられた。これらの費用は巨大なものとなり。文化8年には対馬で一行を迎接する易地聘礼となり、簡略化された。近世の産業のなかで鯨組(捕鯨業)はとりわけ大規模で、 800人を超す人々を要した。鯨は初冬にはオホーツク海から日本海を通って東支那海に南下する。早春には南から北へと逆上する。これらの下り鯨、上り鯨の通り道に壱岐があるため、多くの鯨組の基地ができた。特に瀬戸の恵美須、勝本の田ノ浦は最高の漁業基地であった。
平戸藩は、この莫大な利益を生み出す鯨組に着目し、運上銀と称する租税を徴収し、多額の御用金を課している。壱岐での捕鯨は、明応2年(1493)に始まり、江戸時代中期が最盛期であったが、以降徐々に衰退し、明治30年(1897)をもって終わった。幕府の巡見使は、諸国を回って地方政治の良否を視察して復命する役で、将軍の代替りごとに派遣された。宝永7年(1710)の巡見使の一行に、河合曽良が同行している。曽良は、松尾芭蕉に師事し、「鹿島紀行」や「おくのほそ道」の旅に随行し、「曽良旅日記」は広く知られている著書である。ところが、曽良は壱岐国内の巡見の折、勝本浦で客死したのである。
幕末期の壱岐は、異国船の警固に追われたが、その中心は勝本浦に設けられた押役所で、厳重な防備がなされた。慶応年間(1865?68)に壱岐沖を通過した異国船は、毎年100を超えたが、攻撃を受けることもなく明治時代を迎えた。明治4年(1871)廃藩置県により、平戸県となるが、11月には新しく長崎県は成立し、壱岐は長崎県に所属した。
(長崎県壱岐支庁発行:壱岐島勢要覧より抜粋)
壱岐島の概要
行政区分では、不思議に思われるでしょうが、距離が三番目に近い長崎県にあたります。これは江戸時代、壱岐が平戸藩の領土だったことに由来します。(詳しくは壱岐の歴史ページをご覧ください)
平成16年3月1日に旧郷ノ浦、芦辺、石田、勝本四町は合併し、壱岐市となりました!
| 人口 | 34,127人(平成13年) |
|---|---|
| 面積 | 138.29平方キロメートル |
| 高さ | 約213mの「岳ノ辻」が最高峰 |
| 海岸線 | 約191キロメートル *島の面積では全国20番目の大きさです。 |
壱岐リンク集
宿泊施設
- 平山旅館
- 太古の昔から湧き出る千年湯を守る温泉旅館。素材の良さを生かした壱岐島料理を展開。
- 壱岐観光ホテル
- 壱岐の中でも歴史の古い観光ホテルのサイト。
- ビューホテル壱岐
- 施設紹介、釣の案内等。
- 壱岐民宿村
- 壱岐民宿組合が作る様々な壱岐の民宿の情報。
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- 郷ノ浦町にある見晴らしのよい観光旅館。
- 島来荘
- 石田町の海水浴場近くにある大きな民宿。
- 旅館網元
- 石田町にある料理自慢の旅館。
- ホテルアイランド壱岐
- 郷ノ浦町の美しい海岸線側に立つシーサイドホテル。
- 民宿近海荘
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- 壱岐出会いの村
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観光
- 壱岐観光協会
- 海水浴やイルカダイビング情報、イベントカレンダー、港湾マップ等。
- かんかいネット
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- サンドーム壱岐島荘
- 勝本町が運営する国民宿舎と温泉センターサンドームの案内。
- 小さな美術館
- 郷ノ浦町にある現代モダン美術館。ハーブ茶なども館内で楽しむことができる。
- イルカダイビングスクール
- 壱岐でイルカダイビングを指導するスクールの案内。
- 聖母宮
- 安産・子宝、海上安全、勝負の神様として知られる勝本町にある神社聖母宮の各種案内。
交通
- 九州郵船
- 博多港、壱岐、対馬間の時刻表、運賃。
- 大川海運物産
- 福岡、壱岐対馬を結ぶフェリー「つばさ&はやと」を運航。
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特産品
情報
- いきWEB
- 壱岐島の様々な情報を提供しているサイト。
- 壱岐日々新聞
- 壱岐の情報を提供している新聞社のサイト。
- ひいきあいらんど
- 壱岐の様々な情報の提供と焼酎などの販売。
- 壱岐っこ
- ホームページ会社が提供する壱岐の様々な情報サイト。
商店
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- 郷ノ浦町にある美容室の案内ページ。
- 壱岐動物病院
- 島の動物病院として様々な情報を提供しているサイト。
- 橋川家電サービス
- 郷ノ浦町にある電気店の案内ページ。
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- 壱岐の不動産情報を一部提供しているサイト。
行政
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- 壱岐市のホームページ。市の政策、暮らしや観光情報など
- 壱岐四町合併協議会
- 郷ノ浦、石田、芦辺、勝本の四町合併前の協議会
学校
- 長崎県立壱岐高等学校
- 長崎県立壱岐商業高等学校
- 武生水中学校
- 沼津中学校
- 田河中学校
- 箱崎中学校
- 那賀中学校
- 勝本中学校
- 盈科小学校
- 初山小学校
- 渡良小学校
- 三島小学校
- 芦辺小学校
- 田河小学校
- 箱崎小学校
- 筒城小学校
- 霞翠小学校
団体
壱岐日報会社概要
- 商号 有限会社壱岐日報社
- 創業 1912年(大正元)年12月、旧志原村の大曲実形氏が壱岐集報社を創立。翌2年1月から「壱岐集報」を発行した。大曲氏は名義だけで実際の新聞作りは旧田河村の長島直衛氏で、大正6年に長島氏が死亡したため、長島若枝氏が引き受け、編集は旧武生水村の白石新太郎氏が当たった。後には白石氏が印刷所も引き受け発行人を兼ねた。大正12年には題号を「壱岐日報」と改めた。昭和20年に戦争のため休刊したが、21年1月に復刊した。昭和29年1月白石新太郎氏から篠崎健二郎氏に譲渡、47年に同氏が死去したため篠崎学が引き継いで現在に至る。
- 設立 1974(昭和49)年5月資本金100万円をもって有限会社に改め、1996(平成8)年1月資本金300万円となる。
- 所在地 〒811-5133 長崎県壱岐郡郷ノ浦町本村触654番地
- 代表取締役 篠崎 学
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壱岐島への交通
壱岐って名前は知っているけど場所はどこにあるの?行くのにどれくらいの時間がかかるのとよく尋ねられます。ここでは簡単にですが、壱岐の位置や交通の情報をお伝えしようと思います。
離島は少し他の場所より、遠かったり、乗り継ぎが不便だったりしますが、それを補って余りあるよい部分があるんですよ。元々、島は四方を海に囲まれ、すばらしい眺望や豊富な漁獲高に恵まれてます。壱岐に関心がある方、ちょっとだけでも知ってみたい方は、ぜひこのページをご覧ください。
壱岐は大陸朝鮮半島、九州地方の間に位置します。 実際の距離は唐津港より約40キロ、博多港より76キロ、対馬厳原より68キロの場所に存在しています。空路では長崎空港より94キロとなります。船の乗船時間は唐津港より約1時間40分、博多港よりフェリーで2時間15分、 高速船で1時間弱ほどの距離です。
飛行機を利用した場合、長崎空港からも35分程度です。※但し近辺の人以外は、博多港で高速船を利用した方が早いです。
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